原状回復工事をしなくても原状回復費は請求できる?居抜き賃貸をめぐる3つの裁判例を弁護士が解説
2026.07.07
執筆者 陽なた法律事務所 弁護士 松井竜介
こんにちは。弁護士の松井です。
今回は架空の相談事例をもとに、解決方法や裁判例を紹介したいと思います。
店舗や事務所の賃貸借では、
退去時に借主から原状回復費用を受け取ったにもかかわらず、
その後、居抜きで次の借主に貸したため、
実際には原状回復工事を行わないことがあります。

このような場合、
「工事をしていないのだから、
受け取った原状回復費用は返さなければならないのではないか。」
という疑問を持たれる方も少なくありません。
今回は、架空の相談事例をもとに、
この問題について裁判所がどのように判断しているのか、
3つの裁判例を比較しながら解説します。

【相談内容】
賃貸店舗を所有しているオーナーAさんからのご相談です。
私は飲食店として店舗を貸していましたが、借主が退去することになり、
契約内容に基づいて原状回復費用を支払ってもらいました。
ところが、その後すぐに次の借主が決まり、
「居抜きで借りたい」と希望されたため、原状回復工事は行わず、
そのまま貸すことにしました。
すると、退去した借主から、
「工事をしていないのだから、支払った原状回復費用を返してください。」
と言われています。

確かに工事はしていませんが、契約どおり原状回復費用を受け取っただけです。
このような場合でも返還しなければならないのでしょうか。

【弁護士からの回答】
結論から申し上げると、
工事をしていないからといって、
必ず原状回復費用を返還しなければならないわけではありません。
一方で、契約内容や退去時の交渉経過によっては、
返還義務が認められる場合もあります。
実際に裁判例でも結論が分かれており、
その理由は「工事をしたかどうか」ではなく、
「どのような内容で合意が成立したのか」という点にあります。

原状回復費用は工事をしなくても請求できるとした裁判例
東京地方裁判所平成28年3月28日判決では、賃借人が退去した後、
貸主は補修工事を行わないまま次の賃借人へ賃貸しました。
これに対し、賃借人は、
「補修工事をしていない以上、その費用は発生していない。」
と主張しました。
しかし裁判所は、
「原状回復費用は、明渡し時の状態において客観的に算定されるものであり、その後貸主が実際に補修工事を行うかどうかは、算定された原状回復費用に影響を及ぼさない」
と判示し、貸主が補修工事を実施していない部分についても、
原状回復費用を認めました。
この判決は、原状回復費用は「実際に工事へ支出した金額」ではなく、
「退去時点で借主が負担すべき損害額」であることを明確にしたものです。
居抜きで再賃貸しても返還義務はないとした裁判例
東京地方裁判所平成29年12月8日判決では、
借主は契約上スケルトン状態へ原状回復する義務を負っていましたが、退去時に、
「702万円を支払うことにより」「原状回復義務の履行に代える」
との退店確認書を締結しました。
借主は702万円を支払って退去しましたが、貸主は原状回復工事を行わず、
そのまま居抜きで第三者へ賃貸しました。
借主は、
「工事をしていない以上、702万円は不当利得である。」
と主張しましたが、裁判所はこれを認めませんでした。
裁判所は、退店確認書は、「原状回復義務の履行に代えて」、
「702万円を支払う旨を約し、同合意に基づいてこれを支払ったもの」であり、
不当利得ではなくと判断しています。
結局のところ、貸主が実際に工事を行うことまで約束したものではない
ということになります。
返還義務を認めた裁判例
これに対し、東京地方裁判所令和4年3月15日判決では、
貸主は退去時に約134万円の原状回復費用を受け取ったものの、
実際には工事を行わず、居抜きのまま次の借主へ引き渡しました。
裁判所は、
・契約書ではスケルトン状態への原状回復が予定されていたこと
・貸主から原状回復工事の見積書が提示されていたこと
・借主は工事費用が高額であるとして減額交渉を行っていたこと
などの事情を重視しました。
そして裁判所は、借主は、
「実際に原状回復工事が実施されるからこそ、その費用を負担する」
という動機で合意しており、その動機を貸主も認識していたと認定しました。
しかし、実際には工事が行われなかったため、
借主には動機の錯誤が認められるとして、
原状回復費用に関する合意は無効となり、
不当利得返還請求が認められました。

【今回のポイント】
これら3つの裁判例は、一見すると結論が異なるように見えます。
しかし、裁判所が判断しているポイントはそれぞれ異なります。
平成28年判決は、
「原状回復費用はどのように算定するのか」
という問題を判断したものです。
平成29年判決は、
「原状回復義務を金銭で清算する合意」
の効力を判断したものです。
令和4年判決は、
「工事が実施されることを前提に合意した借主に動機の錯誤があったか」
を判断したものです。
したがって、「工事をしなかったから返還しなければならない」
あるいは「工事をしなくても絶対に返還しなくてよい」
という単純な問題ではありません。
契約書の文言、退去時の合意書、見積書の提示、当事者間の交渉経過など、
具体的な事情によって結論が変わる可能性があります。
貸主としては、居抜きで再募集する可能性がある場合には、
退去時の合意書に「原状回復義務を金銭で清算する趣旨」であるのか、
それとも「実際の工事費用」であるのかを明確にしておくことが重要です。
借主としても、工事が実施されることを前提として費用を支払うのであれば、
その内容を書面に残しておくことで、後日の紛争防止につながります。
※なお、上記事例はあくまで架空のものであり、
実在の人物、団体とは一切関係ありません。
【参考記事】
「クロスは6年で価値がゼロだから支払わない」は本当?原状回復費用をめぐる誤解と裁判例から見るガイドラインの正しい理解











